小鳥の遊び場

詩と文のライブラリ

嬉しさと同期する恐怖

 赤ちゃんが産まれるの来月。怖いのはこの体が赤ちゃんを見切れるかよ。勿論、いろんな手段は使うわ。それでも怖いのは変わらないわね。おなかの中にいる分には問題はないのよ。なんせ定期検診では「元気な赤ちゃん」と言われていたのだから。でも、怖いのは出てきてからよね。お風呂のタイミング、授乳による薬の制限、泣き止まなかったら?どうしたらいいのか、眠剤なしで起きたままだったら私たちは崩れてしまう。私たちが崩れてしまったら、赤ちゃんはどうなるのかしら。怖いわ。医者からは「預けた方がいい」とまでいわれてしまっているこの状況で、おなかの子はちゃんと育ってくれるのかしら?

 

 私たちと同じ疾患を抱えた人が出産していること、子育てをしていることはわかっているわ。でも、怖いものは怖いわよ。初産で、実家に帰ることはできない。母親は来てくれるそうだけど、私たちはあの母親に育てられてこうなってしまっているのは事実。こんな厄介な病気をこの子には持たせたくないのよ。それだけではないわ。私たちはいけないと知りながらたばこを手放せなくなっている。もしかしたらこの子は違う知的などの疾患を抱えて産まれるかもしれない。それはこの子の個性を潰しかねない。怖いわ。怖さをなくすためにまた喫煙する。悪循環ね。そんな私たちに子育てなんてできるのかしら。弱い弱い人格に子育てが務まるのかしら。1人や2人であればそこまで問題ではなかったでしょう。しかし、私たちの人格はもう少しで50はこえる。そんな人に子育てなんてできるのか私は怖くて仕方ない。

 

 産むと決めたのは私たちだわ。でも実際に近くなると恐怖心が出てくるわね。初めての赤ちゃん教室にも行ったわ。それでも恐怖心は拭えない。保健師さんの協力もあるわ。勿論、訪看さんの協力もあるでしょう。それでも怖いのは怖いわ。虐待なんてしたくはないもの。それこそ、私たちと同じ運命をたどってしまう。それだけは回避したい。きっと苦しむことになるから。出産に向けていろいろなものを準備している。その分だけ恐怖心も増えていく。産みたいけれど怖くて逃げたくもなる。

 

 親は「強くなりなさい」と言う。わかってはいるのよ。強くこの子を守れるぐらいには。でも、じゃあ、あなたはどうなのと聞きたくなる気持ちもあるのは確か。私たちがこんな風になってしまったのは、あなたのせいではなくて?と言いたくもなる。とても残念だけれど、親の言う言葉がすべてではない。

 

 怖いことはたくさんある。ちゃんと育てられるのか、パートナーが裏切ったりしないか、そうしたら私と子供を生かし切れるのか。でも、産まれることはとても嬉しくて、結婚も嬉しくて、なんて表現をしたらいいのかわからないけど、怖さとうれしさ、入り交じったこの気持ちをどの様に言い表したらいいのかしら。できれば子供が自立するまでは苦労させずに生活させてあげたいわね。

 

 京華