小鳥の遊び場

詩と文のライブラリ

明かりのない世界

 朝起きて目に付いた涙の跡をカリカリと指で取る。今夜の夢も良いものでは無かった。壊れそうになる毎日を必死に耐えて耐えて、夜にはこてんぱんにされる、そんな毎日。終わりにしたくても、そんな勇気がない。怖くて怖くて自殺なんてできない。一度、夜に20階建てのビルの屋上に行った事がある。空は非情で私がこれから飛ぼうとしているにも関わらず、綺麗だった。冷たくて強い風が、「どうせ飛べやしないだろ」と私を嘲笑っているように感じて、フェンスに手をかけた。でも、下を見た瞬間、死が大きな口を開けて待っていた。一瞬で恐怖に飲み込まれた。怖い。それ以来、私は自殺なんてできなくて弱い生き物なんだって思い知らされながら、生きている。年間何万人もの自殺者が出ているけれど、きっとその人たちは凄く強い人なんだ。だってこんな怖い事を簡単にやってのけたんだから。私には出来なかったこと。勇気がある人達なんだ。

 

 そんな事を考えながら、出社する。デスクには山積みの仕事が。ああ、また山岡さんの嫌がらせか。彼女は私に厳しい。とても。山岡さんに振られた仕事を「仕事が早い人に任せた方が良い」とか言って私に押し付けるのだ。それが嫌で、上司に言っても注意も何にもしてくれない。仕事を拒否をすると「給料泥棒」とか言われて「最低な女」として扱われる。だから、私は黙って耐えるしか無かった。そのせいで、他の社員からもよく仕事を押し付けられるようになった。みんな私をこき使うんだ。でも、そういえば、この前、仕事がいきなり終わってた事があったな。それは誰かが助けてくれたんだろうか。そんなことはない、か。この職場でのカーストが一番低い私に手を差し伸べてくれる人なんていない。後輩からも舐められてる私に救世主なんて存在するわけない。でも、じゃあ、あれは何だったんだろう。夢?なのかな。

 

 本日も朝礼が終わり、仕事の待っているデスクに向かう。大量に積まれたプリント。これをおえなきゃ帰れない。明日に繰り越せば、明日の私が大変になる。パソコンに向かう、その時、世界が一変した。グルリと眩暈がして、倒れそうになる体を支えたところまでは覚えている。そこから、私の記憶は飛んで、いつの間にか、夕方。医務室にいたわけではない。デスクの固い椅子に座っている。パソコンは開きっぱ。朝、大量に積まれていたプリントがない。あれ、おかしい。私は急いでパソコンを確認する。…………仕事が終わっている。しかもなんかメッセージがメモに残されている。何だろう。私はメモを開く。

 

『お疲れ様。仕事は一通り終わっていると思う。後やんなきゃなんねーのは何?俺が代わりにしとくから、お前、休んでろ。無理すんな。これはお前の人生じゃないんだからな。多分、お前は忘れてるかも知んねーけど、この体もこの仕事もこの環境もお前のじゃねーから。楓、死にてーほど辛いなら休め。by一ノ瀬』

「え……?」

 

 空いた口が閉じない。この人生は私の人生ではない?どうゆうこと?え?そもそも、『一ノ瀬』って誰?何者?というか何を知っている?確かに私の名前には違和感があった。”自分の名前じゃない“”私は楓だ“って思ってた。本名である、『綾乃』って名前が嫌いだった。でもそれは私が別の何かになりたくて、或いはアニメとかのキャラに憧れてるだけで、それだけだと思ってた。

 

 

 もしかして、私は…………。

 

 

 昔、調べた事がある。感覚がおかしい、名前に違和感がある、両親と呼ばれる人が知らない人、知らない人に話しかけられる、友達からよく人が変わったように見えると言われる、1日時間が飛んでることがよくあるなど。なんかおかしかった。だから、調べた。そこで出て来たのが『解離性同一性障害』。私は初めて聞いたし、なんの病気かも知らなかった。だから、気になって沢山調べた。そこでわかったのは『多重人格』のことだと言うこと。人格が複数いる。それにネットだけれど私はかなり該当していた。でも、他の人格なんて私にはわからないし、人が変わるなんてお酒とかである事だと思う。でも、これは……。

 

『気づいてなかった感じぃ?マジウケるわ』
『ホントだよな。俺もそんな事あるとは思ってなかったわ』
『そうね。ただの“人格”なのに本物なんて思い込んでる事自体が、異常なのよ』
『全くそうですねぇ〜』
『んぁ〜、そうだなぁ。思い込みは良くないよなぁ』

 

 何だこれ?なになに?え、どうして?この声って?

 

『とりあえず、代れ、楓。お前は暫し、休憩しとけ』

 

 私はこの瞬間から何かに閉じ込められた。暗い暗い世界に私は押し込められ、動けなくなった。信じられない事に、そこから私5年もの時間をそこで過ごした。私がこの明るい世界に帰って来れた時には、もう仕事も住んでる所も、違った。知らない場所、知らない仕事、知らない事だらけになっていた。5年、という時間もカレンダーで知った。中で聞こえた声の正体、私には分からなかった。人格ということを書かれていても、1回だけだけど聞こえた声の正体もわからない。私は理解出来ない世界で5年もの時間を過ごしたんだ。

 

 ここはどこ?今は何時?私は誰?私は私。でも、私とは違う名前、年齢、感覚、記憶、性別、心。全てがおかしい。全てが狂った世界。私は誰?私は何?

 

小鳥遊京華