小鳥の遊び場

詩と文のライブラリ

四月一日

 縫いくるみの綿を抜くってどうゆう事か分かるかしら。私には“人生をリセットする”=“死ぬ”って意味に感じてしまうの。悲しいことね。人と物何が違うのかしら。同じじゃない。生命と物は違うなんて言うけれど、そんな事ないわ。物にも命があって良いじゃない。付喪神のように動くかも知れないわ。トイストーリーのように実は夜遊んでいるかも知れないわ。

 

 大抵の女の子は1度や2度、ぬいぐるみを持った事あるでしょう。男の子だって触ったり愛でたりした事あるでしょう。たけど何で“四月一日”なんて日があるのかしら。一説によると、冬の間に防寒として着物に詰めた綿を旧暦の四月一日に抜いていたそうです。 そこから、四月一日=わたぬき、となったようです。 富山県を中心とした日本海側に多いようです。ネットから拾ってきた文によるとこうゆう事らしいわ。だけど、わたしは知っている。熊のぬいぐるみが流行った時に、熊の顔のみ綿の入った商品を売っていて、気に入った熊にお店の人がハートをくれるのよ。それが心臓。それを熊の皮に入れてわたを詰めるの。心を入れて売るのよ。そのお店には熊の洋服なんかもいっぱい売っていて、自分だけのオリジナルの熊のぬいぐるみを作れる所なの。そう考えると、やっぱり綿を抜くって、人の解剖をしているような感じじゃない。

 

 人を殺すことは犯罪だわ。動物も犯罪になり得る。でもぬいぐるみはいいのね。そんな物騒な名字があるのだもの。この名字の方には申し訳ないけど、ごめんなさい。私には無理ね。殺めてまで生きたくはないもの。まあ名字は女の子であれば結婚で変えられるし、男の子でも婿養子になれば変わるわ。別にこの珍しい名字を無くしたい訳ではないのよ。ただ、辛いってこと。偏見は無いわ。だから、もし、職場に四月一日さんが居たとしても、人柄を見るわ。私は人柄重視なの。そううゆう意味では安心して欲しいわ。何をって感じだろうけど。ここまで批判してきた奴がとか思われても仕方ないわ。ここは、私の庭。ちょとぐらい自由に書かせて頂戴。

 

 今回は、かなり攻めた文になってしまったわね。全国の四月一日さんごめんなさい。これもどれも、エイプリルフールってことで水に流して貰えないかしら。本当に四月一日さんだからって偏見は無いのよ。自分の本名のほうが大嫌いよ。ここはほんとの話。

 

 とりあえず、新学期、新社会人の方々、おめでとうございます。無理なく過ごしてくださいね。無理だと思ったら環境を変えるのも手だと、私は思うの。無理していい事なんてないのだから。それこそ、人生は何度でもやり直せるわ。リセットする気持ちで、まずは新しい事に慣れて、そこからどう動くかはあなた次第。頑張れとは言わない。でも、ゆっくり走っていきましょ。

 

 

 京華