小鳥の遊び場

詩と文のライブラリ

美しい文

 文を読んだの。優しい文。これは生八橋に入っていた文なのだけど、残念なのは一人称と三人称が入り混じってたことね。それでもとても優しい気持ちになれたのだから文は自由ってことね。私も久々に文を書きたくなったわ。

 

 私の文は相変わらず、上手く纏まってない文なのだけど、それでも見てもらえてて嬉しい限りよ。小雨が降る中、仕事に行かなきゃ行けない彼の事を考えると、可哀想で仕方ないわ。私達は年中ゴロゴロしててもいいのだから、よけいに思ってしまうのね。寂しいって泣いている子もいるけど仕方ない事だわ。仕事は大切よ。


 私達も色々勉強をしようと考えているの。その為に本を買ったわ。でも、私みたいに自由な時間は、その子たちにはあまりないから、何年もかかるでしょうね。仕方ない事ではあるのだけど、やっぱり罪悪感はあるわ。自由な時間はとても大事よ。拘束されてる時間が多いほど悲しいことはないわ。時間がない中で勉強なんて、できるのかしら?


 話は戻るわね。優しいあの文に関して、いつか私も書いてみたいって思ったのよ。世間に向けた一つの文。私もそんな文を書きたいわ。小さな紙にびっしりと書かれた文。私の座右の銘。“文は嘘をつかない”。これからも私の文は嘘をつくことはないわ。綺麗な文ではないけれど、誰かに刺さってくれれば十分だと思うのよ。所詮、私はまだまだ未熟者。それでも綺麗と思ってくれる方が、一人でもいてくれれば嬉しい限りだわ。春は終わり、夏へと向かうこの時期。いつか、綺麗に向日葵のような暖かな文を作っていきたいわね。


 夢の中、文だけが私の存在価値。ふわふわした中で文が躍る。綺麗であれ、美しくあれと、私を奮い立たせる。最近はスランプ気味だった私の文。夢で見たあの美しい文を私は忘れない。“文は嘘をつかない”。夏になり、残暑の厳しい中、私はふわふわ浮かぶ、文を、文字を、形にしていく。ゆっくりと私の中で消化し、文へと変換されてゆく。美しくあれ、綺麗であれ。桜のように、向日葵のように、紅葉のように、氷柱のように。季節は私を動かして行く。心を込めて文を作っていく。


 さて、また話が変わるのだけど、私、詩も書いていて、それを9月の文学フリマに出店することが決まったの。名刺も出来たわ。よかったらご覧いただければ幸いよ。私のこと少しでも知ってもらえれば、嬉しい限りだわ。


 詩もそうだけど、文もこれからも書いていくわ。美しく、綺麗に出来上がったら、私は文もフリマに出そうかしら。これからも、私の心を文に起こしていくわ。彼ら、彼女達の気持ちを受け止めながら。

 

 

京華

 

 

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