小鳥の遊び場

詩と文のライブラリ

小鳥が遊ぶ庭の公園で

 煌びやかな朝日ともに、小鳥の鳴き声が劈く。煩く感じるものの、朝の訪れをベッドの橋からの光で知らされたの。私は朝が好きだわ。一日の始まり。美しい小鳥の鳴き声。ああ、人の生き方を教えてくれる様な美しき朝。人の自由ではあるけれど私の一日を教えて下さる、光と小鳥の鳴き声は欠かしたくはないわね。庭に咲く公園のピンクの花がより美しく私を迎えてくれるの。

 

 小鳥は朝を教えてくれるのだけれど、やはり、夕方の光と共の声も美しく私を寝かしつけてくれるわ。小鳥の鳴き声は時間感覚がない今、私にはとても大事な声なのね。光と共に動く鳥類は人間の動きともとても似ていると思うの。だって、私達も朝、昼、夕と光に沿っての言葉があるじゃない?だから、とても小鳥との親和性溢れる小鳥は私達の体内時計を直してくれる、大切な生き物ね。彼らが糞をして、それが汚いだの、キモイだのというのは御法度であると思うのよね。だって元気な証拠でしょ?汚いと思うのなら、自分で掃除なさい。人が鳥の領域に入ってしまったのが悪いのだから。私たちの生活にお風呂は欠かせないものとなっているように、トイレが必要となっているように、小鳥たちにも体を洗うこと、食べること、排泄することは、自然な事だわ。必要なのは多少の手間をかけてでも、我慢する心。人にはそれが備わっていると私は思うの。

 

 私たちの暮らしはとても豊かなものになったわね。しかし、その豊かさの裏には困り事だって必ずあるはずなのよ。その我慢が未来を作っていくきっかけになるかもしれない。そんなことを考えたらドキドキしちゃうわね。でも、油断は禁物には違いないの。我慢しすぎても意味が無いのは確か。少しの緊張感と我慢とそれを吐き出す場所が必要になってくるわね。

 

 そんなこと考えながら、小鳥の囀りを聞いて今日の身支度を終える。毎日が小鳥達によりリセットされ、新しい毎日を迎えることが出来ているわ。生き物にはみんな何だかの価値があり、意味がある。それを心得て私たちは家を出るの。

 

小鳥遊 京華