小鳥の遊び場

詩と文のライブラリ

心持ちひとつで変えられるものがあったなら

 人の自傷行為は痛々しい。見てて悲しくなるわ。何があなたをそこまだ追い込んだのか。話して欲しかった。そんなふうに思ってしまう。悲しい出来事。

 

 人は言う。自分勝手な行いと。確かにそう思うわ。自分勝手で身勝手な行いなのでしょう。でも、その行為には理由が存在するのも確か。吐き出せない何かを背負っているのも確かなのよ。見ていて気持ちいいものなんかじゃないわ。傷跡は深くエグく残ってしまう。それでもやり切れないから、あなた達には分からない傷を作るのよ。散々見てきた。傷だらけの腕、足。散々感じてきた。やり場のないこの気持ちを何処にぶつけたらいいのかという葛藤。散々散々、感じてぶつけてぶち壊して痛みを感じて、それでもやり切れない。切なさ。自分ひとりなら良いでしょ?そうゆう問題じゃないのもわかっている。知っている。それでもやり切れないこの気持ち、心は何処に落とし着れば良いの?

 

 深夜、誰もが眠っている時間。一人の感覚が甦ってくる。誰かに話したくても話せない、一蹴されてしまうようなこの気持ち。自分には大きな深い傷なのに理解されないこの感覚。黙って聞いてくれる人なんかいない。深夜だもの。カウンセラーも24時間では無い。一人は苦しい。その感情をぶつける場所。それは自分。体に傷を作る。痛みを与えて心の感情を誤魔化す。誤魔化しきれないならもっともっと。傷が増えていく。深くエグく血が流れていく。他の人なんて、きっと分かってはくれない。だから、だから、刃物を自身に向ける。いつかわかってくれる人がいてくれたら。なんて軽く考えてバカバカしいとまた刃物で誤魔化す。

 

 

 咄嗟的な自傷行為もあるでしょう。希死念慮からくる自傷行為もあるでしょう。生きてる感覚がなくなってしてしまう自傷行為もあるでしょう。深く傷付けられて苦しくなってしてしまう自傷行為もあるでしょう。どんな自傷行為であってもそれを否定してはならないわ。吐き出し方を学ぶしかないのよ。吐き出し方だって色々あるわ。でも、それでは足りない。もっと知って欲しい。もっともっともっとって。結果、自傷行為に走ってしまうのも痛いほどわかる。なら、私は文にぶつける。それを声に出して読んでもらう。自己満かもしれない。それでもいい。痛みなんかより、自傷行為なんかより。自己満で私はいい。

 

京華