小鳥の遊び場

詩と文のライブラリ

公衆電話の冬

 夜桜の下、公衆電話が1つポツンと置いてある。誰もいない公園で、桜が何故か、雪のように見え、私はもう春のはずなのに冬の寒さが感じられた。冬なのか春なのか不思議な感覚。目覚めの季節、春。眠りの季節、冬。私には何とも言えないわ。

 

 春と言えば出会いの季節でもあり、桜の季節でもある。冬は別れの季節、サンタとかは冬よね。イメージ的に言えば、春は暖かくなり浮かれる感じ、冬は寒く哀しい季節という感じ。その境目はなかなか難しく、今はまだ春と言うには寒い日もあったり、かと言って冬とは言えない暖かさ。難しいわね。春と秋はふわふわし過ぎて、中々、見分けがしにくい。白い鳩を見たの。でもまばらに灰色が入ってて、やったぱり冬を感じさせた。冬と春の境目ってどこなのかしらね。


 暦状では3月にはもう、春になるみたいなのだけど、まだまだ寒い日もあれば、4月に雪が降る事もあるわよね。不思議。私達の時間感覚が狂っているだけなのかしら。4月に入ったのだけどまだコートはしまえなさそうね。クリーニングに出す時がいつになるのかしら。コートはまだまだ必要だし、夜や、早朝は必要ね。しかも雨なんか降ったら昼間でも寒いわ。

 

 季節は巡るというけれど、本当は夏と冬の繰り返しで春と秋はおまけなのかも知れないわ。それとも地球温暖化が招いた季節のズレなのかもしれないわね。私達は自分で招いた地球温暖化に踊らされているのかも知れないわ。台風もそう。外国ではハリケーンも。地震は違うけれど。


 話を戻しましょ。私達は、ふと淋しくなると何故か冬を感じることがある。私なんて特に。雨のそうね。何故か悲しくなる。悲しいと季節は関係ないのに。だけれど、私は淋しくなる。そして、冬を思い浮かべてしまう。冬だって季節の中では対等なのに、淋しいと思ってしまうのはなんでかしらね。寒いからかしらね。

 

 公衆電話、今や使うのはご高齢の方か、子供ぐらい。あ、子供でも、もう携帯電話持っている子もいるのね。失念していたわ。ご高齢の方でもらくらくホンとかの携帯電話を持っていたりする。では、公衆電話は一体誰が使うのかしら。誰も使わなくなった公衆電話。だから寂しいのね。それが冬に繋がるのは分からないのだけれど。

 

 今は春。出会いの季節。新しい一年が待っている。冬にはない、新しい季節が待っている。

 


京華